八丈島に伝わる昔話

八丈島に残る民話には、やはり飢餓と流人に関するものが多くあります。ここでは、当時の様子がよくわかるものを2つご紹介したいと思います。

 ◆トコラ
 昔々、島へ船が年に一度だけしかこなかった頃の話です。島では船が来なくなって食料がなくなると、みんな山へ行って”トコラ”を掘ってきては飢えをしのいでいました。この”トコラ”というものは、かなり苦味が強く、普通だったらとても食べられるものではありません。しかし、食べ物のない時には、みんな仕方なくこれを食べていたものです。ある日、三根村に住む70歳になるおばあさんが山で”トコラ”を掘っていると、水平線のはるか沖に、島へ向かってくる船の姿が見えるではありませんか。おばあさんは船の姿を見つけただけて、白いご飯やお味噌汁が頭に浮かんできて、急いで帰り支度を整えはじめました。と、その時、カゴいっぱいの”トコラ”を見たおばあさんは、無性に腹がたってきて、「こごんどうわるけものはよっきゃ!(こんなまずいものはいらん!)」と言って、カゴの”トコラ”を全部地面にばらまいてしまいました。しかし、あまりにも帰り道を急いだおばあさんは、自分でばらまいた”トコラ”のトゲを足の裏に刺してしまいました。おばあさんはその傷が元で、その後何日も苦しんだ末に死んでしまったそうです。それまで命をつないでくれた”トコラ”を粗末にあつかった天罰でございましょうか。

 ◆お豊虫
  昔々、15歳の時に島に流されてきたお豊は、毎年江戸からの御用船が着く度に赦免の知らせが届くことを心待ちにしておりました。しかし、いつになっても読み上げられる赦免状の中にはお豊の名前はありません。「いつになったら私にお許しがあるのだろう。このまま島で年をとって死んでしまうのだろうか。。。」 歳月は流れ、39歳になったお豊は、ある日寂しくてたまらなくなって、とうとう他の流人6人と共に抜舟(島からの脱出)を企てたのです。しかし結局は捕らえられ、お豊はしきたり通りに銃殺されることになってしまいました。刑場に引き出されるお豊は悔しさを満面にあらわし、島民たちに向かって「死んでも虫になって島の作物を食い尽くしてやる!」と叫んだといいます。すると翌年、島にいも虫が大発生して、本当にサツマイモの葉をきれいに食い荒らしてしまいました。それ以来、島の人々はいも虫のことを『お豊虫』と呼ぶようになったそうです。

 その他にもこのような言い伝えが残っています
●不老長寿の薬”アシタバ???”
 昔々、中国大陸の秦の国の始皇帝は、部下である徐福に命じて不老長寿の霊薬を探させました。徐福は世界中を探し回るうち、八丈島にもやってきたと言われています。最近では科学的に分析されて健康野菜としての価値が証明されたアシタバですが、徐福はその頃からアシタバに目をつけていたのでしょうか?
●八丈島の大津波
 大昔、八丈島に大津波があり、すべてが流されてしまいました。そんな中、タナバという女性だけが舟の櫓(ろ)につかまって、川口が洞(コークチガホラ)に流れついて助かったのです。そして、たまたま妊娠中であったタナバが生んだ子供たちから子孫が繁栄したと伝えられています。八丈島にはこのタナバのお墓もあります。